東日本大震災から5年。
3月11日 14時46分。
あの時、私は会社勤めをしていて机でパソコンに向かっていました。
今までに経験したことのない大きな揺れに机の下に潜りました。
少し前に起きたニュージーランドの大地震でお亡くなりになった高校生たちのニュースが頭によぎって、このままビルが倒壊するのではないかと恐怖を覚えました。
それからは、関東・東北の店舗の被災状況の情報収集。
帰宅困難になった社員たちの食べものの買い出し。
翌日、原発事故のあった範囲にあるお店の社員と電話連絡が取れたら、これから避難するところでした。
東北の社員と家族は無事でしたが、新築の家を津波に流された社員もいました。
大地震から3日後の月曜日は朝から計画停電。
町田駅前のバス乗り場には長蛇の列ができていました。
なんとか乗り継いで出社できたものの
帰りの電車は超混雑で乗ることもできない状態。
普段は明るすぎる位の町田駅前の商店街も街灯がすべて消えていて
手持ちのLED電灯と自動車のヘッドライトの明かりを頼りに歩いて帰りました。
それから暫くはご存知のようにビルの広告塔の明かりも消えて星空が見えるくらいでした。
「もう5年」という方もいれば「まだ5年」という方も。
被災地の復興も決して進んでいるとはいえないようですし
いまだに17万4千人もの方が避難生活を余儀なくされています。
原発事故の収拾は見通しが見えてこないのに原発が再稼働。
私たちは科学技術を過信してきたかもしれません。
いつも「想定外」があるということを肝に銘じていなければと思います。
天皇陛下のお言葉のとおり「一日も早い普通の生活」が取り戻せますように心より祈念いたします。
犠牲となった方々の御霊に合掌。
良縁コンシェルジュ町田・佐野
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